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「……さすがに身体、痛いなぁ」
自室で目が覚めた時のユーノの最初のひと言はそれだった。
それも仕方のないことだけれど。
前日の事だ。日頃からの無理が祟ったのだろうか。
本人としては特にいつもと変わらないつもりだったのだが、周りの司書から顔色が良くないですよ、と告げられた。
大丈夫と言って、仕事を続けようとしたら、無理矢理医務室に連行されてしまった。
連行された医務室の中で、検温されて同僚であるシャマルからハッキリと告げられた。
過労が祟ったところに、風邪の菌をもらったわね、と。
体温計を突きつけられて見てみれば、自分でもビックリするほどの熱だった。
人間というのは現金なもので、熱があるのを自覚すると途端に怠くなってくる。
だけど、仕事は仕事。
元々ユーノは責任感が強いのだが、こういう時は逆に災いする。
仕事があるんだけどとやんわり言ったら、しっかり睨まれてドクターストップ。
無理するなら、リンカーコア抜きして動けなくしてから、治療しましょうか? なんて事まで言われる始末。
さすがにそんなことをされたら風邪どころの話ではないので、その日は大人しく帰ることにして、注射してもらい、薬だけ受け取って退散した。
帰ってから、すぐ寝床についたのが幸いしたのか、熱そのものは動く分には何とかなりそうな程度には下がっている感じだった。
仕事を放り投げた状態で昨日は帰宅しているのだ。
動けるなら動くべきだろう。
本人に自覚はないが、他の者が聞いたら間違いなくワーカーホリックと言われることを考え、ゴソゴソと身体の向きを変えて、ふとしたことに気が付いた。
「……あれ?」
昨日、帰ってきてから着替えるだけは着替えて寝たのだが。
脱ぎ散らかしていたはずのスーツがちゃんと畳んであった。
「おかしいな……って、考えるまでもないか」
そう。難しく考えることでもない。
まさか、管理局の寮に物盗りに入る猛者はいないだろうから、知り合いの誰かが来たのだろう。
幼馴染みを始め部屋のロックを知っている人間は何人かいる。
さて、誰が……とユーノが考え掛けた矢先。
部屋の外から盛大に何かが落ちて割れる音が聞こえた。
同時に少女の「あー!?」という、声が響く。
それだけで、十分だった。
「ヴィヴィオ……か」
思わず苦笑が漏れる。
けれど考えてみれば、彼女が来てもおかしくは無かった。
何しろ昨日、他の司書から顔色を指摘された時、ユーノを医務室まで連行していったのは他でもなくヴィヴィオだったから。
「……この分だと、なのはにも伝わったろうなぁ」
また、お説教喰らうかな? と、ボンヤリ考えながら身体を起こしてベッドに腰掛ける。
立ち上がろうと手に力を込めたところで、トテトテと走ってくる音と共に部屋の戸が開いた。
「あ! ユーノくん、起きてる」
長い金髪を揺らし、クリッとしたオッドアイの可愛らしい大きな目が、ジッとユーノの目とかち合った。
子供らしさの所以とも言えるだろうが、風邪とは無縁そうな活発さがこういう時少し羨ましい。
そんな苦笑を織り交ぜながら、それでも起きた時の挨拶はひとつ。
「おはよう、ヴィヴィオ」
「もう、じきにお昼だけどね。おはよう、ユーノくん」
「……そんなに寝てたの?」
近くに置いてあった置き時計に目をやってみれば。
確かにヴィヴィオの言うとおり。もうじき、お昼に差し掛かる時間帯だった。
そして、ふと気が付く。
「お昼……って、ヴィヴィオ。学校は?」
「今日はお休みだよ?」
「へっ?」
ヴィヴィオが呆れたように半眼をこちらに向ける。
乾いた笑いを浮かべながら、時計の日付を確認してみれば。
確かに休日を指していた。
「ユーノくん、ひょっとしてお休みって分かってなかった?」
「……どうも、そうみたいだね」
更にヴィヴィオの目に呆れが籠もってくる。
わずか10歳にも満たない女の子になんと情けないことだろうと、自分でも思うのだけれど。
受ける視線の痛さにユーノは耐えきれず、そっと顔を反らした。
こういう時のヴィヴィオの目は強い。
それこそ、彼女の母親そっくりに。
「ところで、ユーノくん」
「な、なにかな?」
「起きたのはいいけど、すぐにベッドから出ようとしてるのはどうして?」
「い、いや、何か割れる音がしたから気になって。ヴィヴィオの声も聞こえたし、ひょっとしたら、怪我してたりしないかなぁ……って」
何か問いつめる口調までが、年々なのはに似てきたような錯覚を受けながら、どうしようかと考えてそう口にした。
もちろん、それは仕事に行くためなんて言えない言い訳。
入ってきた時点でヴィヴィオが特に怪我している様子もないのに気が付いてはいたが、怪我をしていないか気になったのは嘘じゃない。
「あぅ……って、ごまかそうとしたって、だめー! 起きて、お仕事行く気だったでしょー!?」
一瞬、ヴィヴィオは呻くが、ユーノの目の僅かな嘘を見抜いたようだ。
あちゃぁ、と顔を歪めながら、両手を腰に当てて、プリプリしているヴィヴィオにユーノは溜め息を吐く。
「昨日、あれだけお熱あったんだよ! 今日のお仕事はお休みー!」
「ヴィヴィオー、そうは言うけど……」
「だめったら、だめー!」
小さな身体で精一杯自分をベッドに押し戻そうとするヴィヴィオに根負けして、溜め息を吐きながらユーノはベッドに身を戻した。
仕方なく、もう一度布団をかぶって横になると、ヴィヴィオの手が額に触れた。
片方の手を自分の額に当てながらヴィヴィオが唸る。
「やっぱり。まだお熱あるよ、ユーノくん」
「いや、でもこのくら……」
「だ・め・で・す・!」
ヴィヴィオにジロッと睨まれて、それ以上は言葉が継げなかった。
呆れたように息を吐くヴィヴィオ。
「ホント、分かり易すぎだよ、ユーノくん。ママに言われたとおり」
「なのはに?」
やっぱりなのはにも伝わっているのか。
溜め息と共に訊いてみれば、今日はなのはも休みだったらしく、最初は二人してやって来たのだとか。
途中で呼び出しが掛かったらしく、最初は渋っていたなのはだったが、やる気になっているヴィヴィオを見て、任せて仕事に向かったらしい。
「『ちょっとでも熱が下がったら、お仕事に行こうとするから、こういう時、ユーノ君には監視が必要なんだよ』って、ママから言われてます。だから、今日はユーノ君の監視をかねて、ヴィヴィオが看病します!」
「……………」
どうしてこの親子はこういう時、勘が良いのだろう。
思わず更に深い溜め息を吐くユーノだったが、他にユーノを知る者がこの場に居たら、ユーノの考えていることには苦笑することだろう。
実際には、単にユーノの行動が分かり易いだけだったりする。
「そーれーにー! そんな体調で書庫に行ったら、みんなに追い返されるだけだよ?」
「あー、それは……考えなかった」
「とにかく! 今日はみんなに任せて、おとなしくする!」
ビシッと指を突きつけられつつ、言われてみればもっともだった。
無理して行ったところで、他の司書たちに追い返されるに違いない。
溜め息を吐くユーノを見て、さすがに観念したと思ったのか、ヴィヴィオがユーノの顔を覗き込む。
その顔は先ほどまでの呆れ顔とは違い、ユーノに無理をして欲しくないという心配の籠もった目。
そうまでされたら、さすがに大人しくするしかない。
というか、ここで引き下がらなかったらヴィヴィオが膨れるのは目に見えているし、なのはの説教タイムが後に控えることになるのは明白だった。
「……分かった。今日は大人しくしてるよ」
「えへへ、分かればよろしいです!」
そんなに自分は信用がないのか、それとも単に看病出来ることが嬉しいのか。
うんうん、と嬉しそうに笑顔で頷くヴィヴィオに苦笑する。
そんなユーノの内心に気付くはずもなく。
「ね、ね。ユーノくん。何かしてほしい事ある?」
「あー、そうだなぁ……」
えらく張り切った調子で胸の前で両手を握り込むヴィヴィオを見ているのは微笑ましいし、ありがたいけれど。
正直、あまりして欲しいこともない。
強いて言うならヴィヴィオが怪我したり、自分の風邪が感染ったりしないようにあまり張り切りすぎないで欲しいことくらいだ。
だから、ひとつだけ思いついたことをお願いした。
「なら、お水持ってきてくれるかな。起きたら喉がガラガラでさ」
「おまかせ!」
「……頑張ってくれる姿は書庫で手伝ってくれる時と変わらないなぁ」
ドンと胸を叩いてパタパタと足音を立てて、ヴィヴィオが部屋の外へと走っていく。
張り切っている後ろ姿を見ていたら、書庫にいる時と同じで、しっかりしてきたなぁと思う。
ボンヤリそんなことを考えていたら、台所の方から盛大に何かが落ちて割れる音が聞こえた。
同時にヴィヴィオの「あー!?」という、声が響く。
前言撤回。
書庫に比べたら、まだハラハラさせられることばかりだ。
少し経って、ヴィヴィオがお盆に水を注いだコップとポットを載せて戻ってきた。
「はい! ユーノくん」
「ありがとう、ヴィヴィオ。……ところでさっきの音」
「あ、あははは……」
「……頼むから怪我だけはしないでね」
「………あい」
ヴィヴィオからコップを受け取って、口を付けて。
まだ、こちらをジッと見るヴィヴィオの視線が痛かった。
もちろん、視線の意味は他に何かやることはないかというもの。
「……何かして欲しい事あったら呼ぶからさ。ほら、感染ってもいけないし……」
「うー……そうだ! ユーノくん、汗かいてるでしょ! わたしが拭いてあげる!」
その気持ちだけで、嬉しいよ。そう言おうとした矢先。
ヴィヴィオの口からとんでもない台詞が飛び出した。
思い掛けない台詞に口にしていた水を盛大に噴き出し咽せ込む。
この年になって、人に身体を拭いて貰うなど恥ずかしいこと、この上ない。
さすがにそれは遠慮すると、断ろうと咽せながら顔を上げた時には。
言うが早いか、既にヴィヴィオの姿はそこになく。
先程までに比べて、更に元気よく走っていくヴィヴィオの足音だけが廊下から聞こえてくる。
「ヴ、ヴィヴィオ。さすがにそれはいいから」
「だーめ! 汗でベトベトしてたら、気持ち悪いでしょ!」
「なら、自分でやるからぁ!?」
「それもだーめ。ユーノくんは病人さんなんだから、大人しくしてるの!」
何とか勘弁して貰おうとお湯を張ったタライを抱えて戻ってきたヴィヴィオに懇願するが無駄だった。
タライにタオルを浸しながら、ヴィヴィオがビシッと言い放つ。
あれよあれよという間に、ユーノの寝間着の上着を引っぺがすとまず背中から拭きだしてしまった。
「ユーノくん、どー? 気持ちいい?」
「あー、うん……気持ちいいよ」
「えへへ、どーいたしましてー」
確かに汗で寝間着はベトベトしていたので、汗を拭き取ってもらえるのは気持ちよかった。
下まで拭いてあげるというヴィヴィオの言葉だけは慎んで辞退したが。
一生懸命に身体を拭いてくれるヴィヴィオだったが、ユーノの腕を持って拭こうとした時、ふと手が止まった。
「ヴィヴィオ?」
「………ユーノくんの腕って、やっぱり細いねー」
「……誰と比べてるのか、知らないけど。それがなのはじゃないことを切に願うよ」
もう言われ慣れた言葉ではあるが、やはりプライドという物があるのだ。
ヴィヴィオの言葉にガクッと項垂れるユーノだった。
◆◇◆
新しい寝間着に着替えて、もう一度横になったところで、今度はお鍋を抱えて、ヴィヴィオが部屋にやってきた。
ユーノが起きるまでの間にお粥を作っていたらしい。
お粥を取ってくると言って台所に向かった際、もう一回、何かが割れる音がしたけど、もう気にするまい。
お椀に盛ったお粥をレンゲで掬って、目の前に出してくるヴィヴィオに比べれば些細なことだ。
「はい、あーん」
「……ヴィヴィオ、一人で食べられるから」
「あーん」
「いや……だから一人で」
レンゲを向けながら、満面の笑顔を浮かべるヴィヴィオ。
だけど、何故だろう。
その奥に何かプレッシャーが見える気がするのは。
「あ、あーん」
「えへへ、あい」
「あれ?」
観念して、ヴィヴィオの差し出したレンゲからお粥を口に運んで、ふと気になった。
なのはが作っていったのだろうと思っていたのだが、味付けが少し違う。
「ユーノくん、どう? おいしい?」
「あ、うん……おいしいけど。これ、もしかして」
「うん、わたしが作ったんだよ?」
「驚いたな。いつの間にこんなに上手になったんだい?」
「へへーん。ママにも、アイナさんにも習ってるんだよ♪ 時々、はやてさんにも教えてもらってるし」
どうだ。恐れ入ったかという風に得意気にふん反り返るヴィヴィオ。
実際、恐れ入った。
まだまだ子供だと思っていたら、いつの間にか料理まで出来るようになっていたとは。
書庫にいる時のヴィヴィオの成長ぶりは見ていたつもりだったが、それ以外でも随分と成長している。
書庫の外での成長は傍にいるわけではないから、なかなか見ることが出来ない。
そういった部分を見ていられるなのはが少し羨ましい。
何故かそんな風に考えている自分に気が付いて、苦笑が湧いた。
「そういえば。ヴィヴィオくらいの頃、なのはは料理までは出来なかったな」
「ホント?」
「本当、本当。家が家だから、盛り付けるのは得意だったみたいだけどね」
「じゃあ、わたし、ママに一つだけ勝てたのかな?」
「さぁ、それはどうだろうね?」
ランランと目を輝かせながら聞いてくるヴィヴィオに笑って答え、頭を撫でてやる。
くすぐったそうにしながらも、ヴィヴィオも満足そうに笑って、またお粥を掬う。
さっきまでの恥ずかしさもどこへやら。
素直に口を開けて、食べさせて貰うユーノ。
端で見ていれば、間違いなく仲の良い親子にしか見えないやり取りだった。
◆◇◆
食事を終え、洗濯物を畳んでくるとヴィヴィオが部屋から出て行って、ユーノは一つ息を吐いた。
安静にしていなければと言いながら、実際には結構騒がしい。
でも、それも悪くないと思えた。
何しろ。今、独りじゃないのだから。
独りが寂しいなんて感情はとうに麻痺したと思っていたけれど。
案外、そうでもないらしい。
起きてみたら、誰かが傍にいてくれて。風邪を引いたら誰かが看病してくれる。
そんな普通を長いこと忘れていた気がする。
「強くはないけど、弱くもないつもりだったんだけどなぁ」
「なーにー? ユーノくん、なにか言ったー?」
自嘲気味に嗤って呟いたところで、ヴィヴィオが洗濯物を入れたカゴを抱えて部屋に戻ってきた。
何でもないよ、と返すユーノの言葉に首を傾げながら、備え付けのクローゼットに仕舞っていく。
「ユーノくん、これ、どこに置いたらいいの?」
「ん? ああ、それか。机の上でいいんだけど……そうだね、ちょっと貸して」
服を仕舞い終わったヴィヴィが聞いてきたものは、昔から愛用しているユーノのサイドポーチだった。
どうやら、ため込んでいた洗濯物に混ざっていたらしい。
「前から思ってたんだけど、それって何が入ってるの?」
「秘密。って、言いたいけど、今日頑張ってくれたからね。特別だよ?」
ヴィヴィオからポーチを受け取って、笑いながらポーチの蓋を開けた。
中身をのぞき込んで、ヴィヴィオがあっ、と声を上げる。
「きれいな石がいっぱーい!」
「あはは、昔からのクセでさ。発掘に行く度に見つけたら拾って来ちゃうんだ」
「いいなー」
「別に宝石でも何でもないんだけどね。そういえば昔、クロノに言われたなぁ。『光り物を集めるカラスか、お前は』って」
「えー、こんなにきれいなのにー。クロノおじさんって、ロマンがなーい!」
「はは、クロノにロマンが無い、かぁ。言えてる言えてる」
ヴィヴィオの言葉に思わず吹き出した。
確かにロマンとかそういったものとは無縁そうだから。あの悪友は。
「あー! この石、きれーい」
ポーチに手を突っ込んで、ヴィヴィオが二つ石を取り出した。
一つは桜色をした優しい色の石。もう一つは翡翠色をした澄んだ色の石。
「気に入った?」
「うん」
天井の明かりに石を照らしながら、ヴィヴィオが満足げに頷く。
「なら、その二つ。ヴィヴィオにあげるよ。今日頑張ってくれたお礼だ」
「ホント!? ありがとう! ユーノくん」
「お礼を言うのはこっちの方って……。わっ、こら。抱きつかないの! 風邪が感染るよ!」
「えへへー♪」
嬉しさのあまり、抱きついてきたヴィヴィオを慌てて受け止める。
言われながらも甘えるように離れようとしないヴィヴィオ。
やれやれと苦笑しながら、そっとユーノはその頭を撫でてやる。
看病される側が甘えるのが普通なのに、する側が甘えてくるこの状況はどうなんだろう。
ヴィヴィオの頭を撫でながら、そんなことを考えるとまた苦笑が浮かぶ。
だけど、それは嫌な感じではなく、むしろ嬉しかった。
ヴィヴィオの元気をもらったのか、気が付けば熱も随分下がっている感じだ。
今日この事と思ったことをなのはに話したら、笑われるかなぁ。
いい大人が恥ずかしいって。
でも。
(やっぱり、独りじゃないって良いね)
そう思えたから。
その後。
仕事を終えたなのはが様子を見に来た時に、片付けてあった割れた食器を見られてしまい、
ヴィヴィオは褒められもしたけど、こっぴどく叱られる羽目にもなったことをここに記す。
了
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