「翡翠の遅刻と雨上がり」
 
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「……ツイてないな」

そう、ツイていない。
確かにミッドへ出掛けてきた時、少し雲はあったが晴れていた。
だが、今は盛大に土砂降り。空一面、完全な灰色。
ビルの軒下で雨宿りしながら、さて困ったものだと、ユーノは脇に抱えた紙袋に入っている本に視線を落とし、深く溜息を吐く。

普段が本局内で過ごしているため、季節や天気の感覚が少し薄れていたのだろうか。
いや、この時期の天気を少し甘く見ていたのかもしれない。
さすがに傘までは持ってきていなかった。

持て余していた休日。
本局の寮で朝からダラダラと過ごしていたら、なのはから通信が入った。
同じく暇を持て余したらしく、ヴィヴィオが退屈がっていたのだそうだ。
一緒に食事でもどうかとお誘いを受け、ついでにヴィヴィオの遊び相手になってやってくれないかということだった。
特にすることもなかったし、軽い返事で頷いてミッドへとやってきたのだが。

約束は昼過ぎだったために少し時間があった。
向かう前に何か無いかと思って街を散策していたら、面白そうな本屋を見つけたのだ。
あれこれ見繕っていたら、面白そうな本を見つけてしまい、立ち読み。
うっかりそのまま、約束の時間を大分過ぎてしまっていたのだが、全く気が付かなかった。

なのはから電話が入ってようやく気が付いたほど。
今どこにいるのかと聞かれて焦った。
まぁ、隠し通せるわけもなく。
本屋で時間潰していたら、時間を忘れてました。と汗タラタラに告げたら、案の定、なのはのこめかみに怒りの青筋が浮いたのは言うまでもない。

大慌てで勘定を済ませ、バス停に向かったが、タッチの差で出発されてしまった上にタクシーを捕まえようにも近場を走っていなかった。
やむなく走ってなのはの家まで向かっていたのだが、その途中で雨が容赦なく降り出したというわけだ。
何が原因で雨宿りなどする羽目になったのか、思い出してユーノは再び深く息を吐く。
向かうための要因はともかく、根本の原因は自分だ。
「ふたりとも怒ってるよなぁ……」

特にヴィヴィオはユーノが遊びに来ると言ったら、通信の向こうで飛び跳ねて喜んでいたから。
約束の時間にしようもない理由で遅れたのだから、なのはが怒るのも仕方はないし、恐らくは、今頃ヴィヴィオもご機嫌急降下だろう。

このビルに入るまでにも降られているので、既に服は濡れているが、何とか本は死守していた。
本を濡らさないことを諦めて走ってしまえば、十分程度あれば、家になのはの家に着くだろうということも分かっている。

「いっそ、転送で飛ぼうか」

濡れた頭をガシガシ掻きながら、無許可で使えば、それこそ責任問題になりかねない発言をボソリと呟き、ユーノは一向に止みそうにない空を見上げる。

「フィールド系で雨を弾く……もマズイよなぁ」

日常生活の範囲内で、雨を弾くためだけにフィールドなど張れば、バレたら叱られる程度では済むまい。
フローターを頭上に張って、走るか。など、あれこれ考えるがどれも魔法に頼ったものばかり。
溜息と共に視線を雨のしたたる地面へと落とす。
水たまりに拡がり続ける波紋は一向に静まる気配を見せなかった。

せっかく買った本が駄目になるのは避けたかったが、これ以上ふたりを待たせてしまってもいけない。
仕方ない。深く溜息を吐く。濡れる覚悟は決まった。

「はい、ユーノ君」

一気に走ろうと顔を上げようとして、その眼前に傘が差し出された。
上げた顔の先に、多少機嫌の悪い顔のなのはが傘を持っていた。

「…なのは? 何でここに……」
「電話したのになかなか来ないんだもん。こんなことだろうと思ったよ。傘持って出なかったんでしょ?」

軽い溜息と共になのはが傘をユーノの手に置く。
苦笑しながらユーノがそれを受け取る。パンという軽い音共に翠色をした傘が広がった。

「……ごめん。助かったよ、なのは」
「謝るなら、私じゃなくて向こうね?」

後ろも振り向かず親指で自分の後方を指し示すなのは。そちらに顔を向けてみて、そこに立っていたのは。
雨の降る中、傘を差して腕を組んで。おまけにポーズは仁王立ちで。
小さい身体なのに、何か今は威厳まで見えて。可愛い聖王陛下がそこに在らせられた。

うわっちゃぁ、という声と共に顔を押さえるユーノ。
言うまでもない。ヴィヴィオの表情はジッとユーノを睨み付けていて、もの凄いご機嫌斜め。

「ヴィ、ヴィヴィオ?」
「……………」

睨むだけで無言のままでヴィヴィオに冷や汗を流しながら、ユーノは声を掛ける。
返事もしてくれず、ヴィヴィオはプイと顔を背けると、そのまま歩き出してしまった。

「これは……やっちゃったね…」
「自業自得。私、助け船出さないからね?」
「……はい」

ユーノが遊びに来てくれることになったのを楽しみにしていたのだろう。
仕事ならともかく、約束していたのに盛大に遅刻するわ、遅刻した理由がしようもない理由だわでは、ヴィヴィオの態度も仕方ない。
ヴィヴィオほどではないが、なのはもしっかり怒っていらっしゃる。
助けを求めようとなのはの方を見たが、ピシャリと言い放たれた。
本当に自業自得だ。

「レ……」
『知りません』

なのはの相棒に助けを求めるが、それも無駄に終わる。
名前すら呼ぶ前に突き放された。
考えるまでもなく、レイジングハートが味方するとしたら、どちらに付くなんて明白だった。
孤立無援。援軍は期待出来ない。
盛大に溜息を吐くと、歩調を早めて先を歩くヴィヴィオに追い付いて、ユーノは横に並んだ。

「ヴィ、ヴィヴィオ、あのさ……」
「約束破るユーノくんなんか知らないもん」

とりつく島もない。そのまま、また顔を背けられてしまった。
反対側に回って、話しかけようとしても同じように顔を背けられる。
ふたりの少し後ろを歩きながら、なのははその光景を眺めていた。

あれこれ話しながら、必死にヴィヴィオの気を引こうとするユーノの行動を見ていて、思わずプッと吹き出した。そのままクスクスと笑い出す。
声をもらして笑い出したなのはにふたりが何事かと足を止めて振り向いた。

「なのはママ、どうしたの?」
「ふふ、何でもないよ。続けて続けて」

小さな女の子相手にオロオロしているユーノが面白かった。
いつもはそんなに取り乱す事なんて無いのに。
母が何で笑い出したのか分からずキョトンとするヴィヴィオとは反対に、ユーノは少し困ったような顔。
なのはが笑っている理由は何となく分かるから。

「……なのはぁ」
「しーらない♪ あははは♪」

そのままふたりに追い付くと間をすり抜けるようになのはは駆け出した。
なのはの行動がよく分かっていないヴィヴィオはフイとユーノを見上げる。

「……あのさ、ヴィヴィオ」
「………やっぱり、しらない」

なのはの行動のおかげで、気はそれたはず。一瞬、お許しが出るかなと思ったが、甘かった。
プイと再び顔を背けたヴィヴィオにユーノはガクリと項垂れる。

結局、なのはの家に到着するまで、ユーノは必死にヴィヴィオのご機嫌を取る羽目になった。
もっともそれでもヴィヴィオはなかなか許してくれず、玄関までやってきてもまだ頬を膨らましたまま。
通り雨だったのか、既に雨は止んで少し晴れ間が覗いていた。

やれやれ、と先に着いていたなのはがやって来たふたりを見て、苦笑を漏らして、空を見上げる。
クスリと笑ってふたりの方へと視線を向けた。

「ヴィヴィオ、ユーノ君。後ろ見て」

後ろを指さすなのはにふたりがそちらを振り向いた。
空を見上げたヴィヴィオがワッと声を上げる。
雨上がりの晴れ間から虹が覗いていた。それもとても大きく、二重に重なって。

「きれいな虹ー!」
「……珍しいな、二重の虹だ」
「ふふ、ヴィヴィオ。そろそろ許してあげたら?」

さすがにユーノが可哀想になったのか、頑張って謝っている姿に許す気になったのか、なのはから助け船が出された。
自らの魔力光と同じ光を眺めながら、なのはの言葉にヴィヴィオはむぅ、と唸り出す。

「ユーノ君が遅刻しなかったら、この虹見えなかったかもね?」
「うー………ユーノくん」

やがて少し睨んだまま、ユーノを見上げた。
少しばかり痛い、その視線にユーノが自然と後ずさる。

「な、何でしょう。聖王陛下」
「へーかは禁止! ……仕方ないから許してあげます!」

それだけ言って、ヴィヴィオは再び虹を見上げる。
何とかお許しが出たことにユーノがホッと息を吐く。
そんなユーノにクスクス笑って、なのはが駆るく手を叩く。

「さ、ごはんにしよ? せっかくだし、虹を見ながら、ベランダの方で食べよっか?」
「さんせー!」

すっかりご機嫌を直したヴィヴィオがはしゃぎながら、手を叩く。
そんなふたりから、虹へと視線を移す。

「……ありがとうかな?」

ヴィヴィオが家の中へと入って、元気よく自分を呼ぶのが聞こえる。
自分を助けてくれた虹の光にそっと感謝して、家の中へと足を運ぶのだった。





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