「翡翠と虹と雨傘と」
 
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 降水確率が低いから大丈夫。そう油断して、雨に見舞われる。

 そういうことはある。それが『稀に』か『よく』かは人によるところか。

 灰色の雨雲に覆われた空を見上げながら、その『稀に』見舞われた一人の少女がぷぅ、と頬を膨らませた。
 世が世なら聖王だったかも知れない少女が、人前で頬を膨らませる姿はある意味貴重だろう。
 もっとも世が世なら、だが。
 今は精々が彼女の関係者が見たら、その姿に苦笑を漏らすところか。
「むー」
 地面を打つ雨音に憂鬱そうに目を向けながら、高町ヴィヴィオはそう不満げに声を上げた。
 下校の際、雲の流れが嫌な感じはしていた。
 レールウェイでの移動中、窓に雨粒がパラつき始めた時点で嫌な予感もしていた。
 そして、結果は駅に着いた頃にはとてもではないが、傘も無しでは帰る事が出来る状態ではなくなっていた。

 ――こういった事は稀にはあることだ。だが。

「もー、いつになったら止むのーー!!」
 延々降り続く雨にレールウェイの駅入り口で腰まである金の髪を振り乱し、両手を上げ頬を膨らませながら、ついにそう怒鳴ってしまった。
 そう、本日の高町ヴィヴィオ。傘は非携帯なのであった。
 普通に考えて、降水確率が一桁で傘を持って歩くような事はしない。
 折りたたみ傘を鞄に忍ばせておけば良い事だが、嵩張るのでそれもしていなかった。
 果たして、それは自業自得か、それとも致し方無しかは、この場に足留めを喰らって、既に一時間近くになっているヴィヴィオにはこの際、関係ない。
「クリスー、どうしよっかー……?」
 自らの愛機へと声を掛ける。背負っている鞄からはみ出していた耳がピクリと動き、ゴソゴソと中からクリスが顔を覗けた。
 雨と湿気はぬいぐるみのボディには大敵。さすがのクリスも濡れるのが嫌ならしく、駅へ到着して早々濡れないように鞄の中に潜り込んでしまっていた。
 プリプリしているヴィヴィオの姿に周りの大人達が苦笑しながら、通行していく。
 母親であるなのはもそんな姿を見ていたら、往来で何をしているのかと、デコピンの一発がかまされているだろう。
 だが、今のヴィヴィオにはどちらも関係なかった。
 そう。帰れなくて、とてもご立腹なのである。
 雨が止まない時点でなのはに連絡は入れた。今日は休みで自宅にいる日だったので迎えに来てくれると言っていたのだが、まだやって来る気配はない。
 こんな意地悪をする天気の神さまに文句の一つも言ってやりたい気分だった。
「…………あっめ、あっめ、ふっれ、ふっれ、かぁさーんがー」
 止む気配を見せない雨に地球の童謡をヴィヴィオはつい口ずむ。口ずさんだところで事態が変わる訳でもないが、なのはと地球へ里帰りした際、雨の中、二人で出かけた時に教わったものだ。
「じゃっのめで、おむかーえ…………とはいかないよねぇ」
 もっとも歌っている本人が歌詞の意味を果たしてきちんと理解しているのか、いないのか。
 歌ってはいてもヴィヴィオには「じゃのめ」というものが何なのかは分からなかった。
「あ〜あ。…………ママ、まだかなぁ」
 ここでなのはが迎えに来れば、詩の通りなのだが、生憎とタイミング良く行かないのが現実というものだ。
 周りを見れば、ヴィヴィオと同じように傘を持っていなくて、足留めを喰らった人達の姿はチラホラ見受けられる。
 小さく溜め息を吐くと、柱を背もたれ代わりにしながら、ヴィヴィオは軽くつま先で地面をコツンと蹴り付けた。
 つまらなさそうに俯きながら、何度それを繰り返したろうか。

 隣でポンと傘を開く音が聞こえ、ヴィヴィオは不意に顔を上げた。
 用意のいい会社員だろうか。一人のスーツ姿の男性が持っていた折りたたみ傘を広げて、ヴィヴィオの前を通り過ぎ、雨の中を悠々と歩いていった。
「いいなぁ……」
 いっそ走って帰ってくれようか。雨の中を行く傘の後ろ姿を見ながら、ふとやけっぱちな考えが一瞬浮かんだが、それは自ら却下しておく。
 トレーニングウェアならともかく今は制服だ。鞄の中の教科書等を濡らしたら事だし、今はクリスも入っているのだ。それを選択する事は出来ない。
 更に言えば濡れ鼠ならぬ濡れウサギになって帰った日には今現在鳴っていない雷の代わりに、別な意味での雷が落ちるのは間違いないだろうから。
「同じ雷でもフェイトママのとは違うからねー……」
 そう、なのはのお説教は怖いのである。
 このまま待っていたら、雨が止む方が早いんじゃないだろうか。そんな考えが頭に過ぎったところで、ヴィヴィオの近くでまた傘を開く音が聞こえた。
 釣られて顔を向けてみたら、開かれた傘の下に見知った顔が見えた。
「あれ……? ユーノく……司書長?」
「ん? ヴィヴィオ……?」
 口を衝いて出た名前に呼ばれた側が顔をそちらへと向けた。やはり立っていたのはヴィヴィオもよく知る人物。
「どうしたの、こんなところで?」
「それはこっちの台詞です。司書長こそどうしたんですか?」
 一旦開いた傘を閉じながら、ユーノがヴィヴィオの傍へと寄ってくる。
「ああ、なのはに呼ばれたんだよ。晩ご飯食べに来ないかって」
 普段なら、休日でもない日にユーノが地上に降りて来ている事は少ないのだが、その理由ならすぐ納得出来た。
「あー、ママに強制呼び出しされたんですね」
 ヴィヴィオのひと言にユーノが「うっ」と一瞬だけ唸る。時間があるなら食事に降りてこいと、なのはの方が誘ったのだろう。
 放っておくと、どうもユーノは衣食をどこかへ置き去りにしていることがあるから。
 ユーノの反応を見ると今回もその辺を突かれたのは想像に難しくはなかった。
「ヴィヴィオの方は……ひょっとしなくてもこの雨で足留めかい?」
「あぅぅ……そうなんですー」
 傘を持ってこなかったせいで、こんな風に雨に見舞われるなんて、思っても居なかった事をユーノに告げる。
「普通、確率一桁で傘持ち歩きませんよー……」
 持っている傘を羨ましそうに見るヴィヴィオにユーノが困ったように苦笑を漏らした。
「まぁ、急に天気が変わる事もあるからね。僕はこっちへ出てくる前にたまたま予報見てみたら、雨マーク出てたから持って来たんだけど」
「いいなー……」
 なのはが迎えに来れば解決する事だが、ジッと見つめたところで傘が二本に増えるわけではない。
 ヴィヴィオとしては正直、これ以上足留めを喰らうのはご免被りたいところだった。
「さすがに一緒に使うにはこれじゃ小さいしなぁ」
 ヴィヴィオが思っている事は汲み取ってくれたのだろう。
 ユーノが再び傘を広げるが、男性が使う一人用の傘でしかなく、二人で入るにはさすがにはみ出してしまうサイズ。
「なのはを待つなら一緒に待とうか?」
「そんなの悪いですよー……」
 再び傘を畳み、そう声を掛けるユーノにヴィヴィオが申し訳なさそうに手を振って断ろうとする。ユーノにしてみれば、先に行ったところでなのはが居なければ、家に入れてもらう事は出来ないのだから意味はない。
「ところで、さ。ヴィヴィオ」
「ふぇ? 何ですか? 司書長」
 軽く息を吐いて、ユーノは憂鬱そうに雨を眺めるヴィヴィオに声を掛けた。
「…………その敬語、どうにかならないかな?」
「えと、どうしてですか?」
「……何かさ、くすぐったいんだよね」
 キョトンとした顔を向けるヴィヴィオの姿に苦笑しながら、ユーノはそう言葉を続ける。
 ユーノの仕事場でもある無限書庫にいる時間ならともかく、今は無限書庫の外だ。
 初めの頃は敬語で呼ばれる事もそう思ってはいなかったのかもしれないが、慣れてくると、小さい頃から知っているヴィヴィオに敬語で話されるのはユーノにとってはむず痒くなってしまったのだろう。
「無理して敬語使わなくてもいいんだよ? ヴィヴィオ」
「うー……でも、ちゃんとしないと……」
 司書としての資格を取って以降、きちんと分別は付けた方がいい、とユーノの事はちゃんと司書長と呼ぶようにしてきた。
 勿論、やっぱり呼び慣れたユーノくんと呼びたい気持ちがヴィヴィオに無くなったわけではない。
 ユーノにそう言われて、うーん、と困った顔を向けるヴィヴィオ。
 以前のように呼んでもいいものか、ヴィヴィオがそう考えていたら、背負っていた鞄からゴソゴソとクリスが這い出してきた。
「クリス?」
 湿気が嫌なのか、さっきから鞄の中でずっと大人しくしていたというのに。
 何をするのかと、ヴィヴィオが声を掛けると、クリスはそのままフワフワとユーノの方へと飛んでいくと彼の背中に回ってあろう事かへばり付いて見せた。
「ちょ、ちょ、ちょ!? 何してるのクリスー!?」
「…………」
 何を思ったのか空気を読んでいないクリスの姿に呆れたのか。ギョッとするヴィヴィオを余所にクリスのあまりの突拍子もない行動にユーノの目が目が点になる。
 が、すぐに我に返るとプッと吹き出した。
 つまり、クリスが二人に言いたいのはこういう事だろう。

 ――横に並ぶとはみ出すなら、縦におんぶすればいいじゃない。そうすれば一緒に帰られるよ、と。

「ええええ!?、ちょっと、クリスー!?」
「なるほど……それは名案だ。クリス」
 背中から肩へとよじ登り、ピッと手を挙げ、エヘンと胸を張るクリスにユーノは軽く苦笑する。
「あわわ、ごめんなさい、ごめんなさい!!」
 クリスの行動にヴィヴィオがペコペコと頭を下げて謝るが、声を掛ける代わりにユーノはその頭を撫でてやった。
「えと、ユーノく……じゃなくて、司書長?」
「大丈夫、怒ってないよ」
 顔を上げてみたら、いつも通りの優しい顔で微笑んでいるユーノにヴィヴィオの顔がパァッと笑顔に染まる。
「さて、と。そうすると、クリスの案を採用するか、なのはが来るまで待つかだけど、ヴィヴィオはどうしたい?」
 肩に止まっていたクリスの首根っこを軽く摘んで持ち上げると、ヴィヴィオの肩へと移してやりながら、ユーノの瞳がそう尋ねる。
 ヴィヴィオの望むままに、と。
「…………えっと……じゃあ、お願いしてもいいですか?」
 少しばかり遠慮がちに、そう告げたヴィヴィオにユーノは一つ笑顔で頷く。
「まぁ、可愛い聖王陛下のお望みとあればね?」
「えへへ……って、ちょっとユーノくん、陛下は禁止だってばー!」
 我が儘を聞いてもらえた嬉しさもつかの間、つい聞き捨てならない言葉に手を挙げて抗議してしまい、しまったという顔でヴィヴィオが口を押さえた。
 昔からヴィヴィオをからかう時はユーノはそう言ってからかう。
 近頃はあまりそういう風にからかう事をしてこなかったから、つい油断して、反応してしまった。
 それを聞いたユーノはと云うと、何か勝ち誇ったような顔でニコニコと微笑んでいた。
「ハハハ、やっと普通に喋ってくれた」
「……そういう手は狡いと思いまーす!」
 ワシワシと頭を撫でてくれるユーノの手を掴みながら、ヴィヴィオは口を尖らせて、そう抗議の声を上げてみせる。
 だけど、撫でてくれるユーノの手が気持ちよくて。もう敬語で話すとか、そんな細かい事はどうでもよくなってきた。
「はい、それじゃ掴まって?」
「はい!」
 掴まりやすいように一旦しゃがんでやると、ヴィヴィオは元気よくユーノの背中に飛び付いた。
 ニコニコしながら自分の首に腕を回すヴィヴィオに軽く吹き出しながら、ユーノはしっかりと背負い傘をヴィヴィオに持たせて広げさせてやった。
「よし、これで準備OK。クリスー」
 クリスがどこに降りようかと考えた末、ユーノの頭の上に降り立つと、ヴィヴィオと目を合わせながらピッと手を挙げた。
「まぁ、そこでもいいけどね。よいしょっと」
 クリスの行動にますます苦笑を深めながら、立ち上がると、もう一度ヴィヴィオを背負い直す。
「ユーノくん、重くない?」
「平気平気、さすがにまだヴィヴィオくらいはおんぶ出来るよ?」
「じゃあ、ママは?」
「うーん…………なのはは、どうかなぁ」
 雨の降る道路へと歩き出しながら、ユーノはヴィヴィオから掛けられた声に軽く苦笑する。
 もう実際になのはをこうやって背負う機会なんて、無いだろうから分からないけど。
 ――それでもせめて二人は背負えるくらいの力は持っていたい、なんてなのはに言ったら、笑われるかなぁ。
「ユーノくん、どうかしたの?」
 そんな事を考えていたら、ヴィヴィオが頭を乗り出して、ユーノの顔を横から覗き込んだ。
「いや。ちょっと、考え事。ヴィヴィオも大きくなったなって」
「ぷーー、やっぱり重たいんだ!」
 ぷい、と顔を背けて膨れるヴィヴィオに誤魔化すように笑って、ユーノは一歩一歩雨の中を歩く。
 車の通りも少なく、傘に当たった雨の音が響く中、ヴィヴィオは童謡の中身を思い出す。
「……ユーノくん」
 ギュッとユーノの背中にしがみつくと、ヴィヴィオは気持ちよさそうにユーノの後ろ髪に頬を擦り付けた。
「どうかした、ヴィヴィオ?」
「えへへ、何でもなーい」
 じゃのめでお迎えするのは母親の役目と決まっているのだが、こんなお迎えがあってもいいのかもしれない。
 ヴィヴィオの様子を不思議に思ったユーノにそう答えながら、ヴィヴィオはたまには急に雨に見舞われるのも悪くない。そう思うのだった。

 ちなみに。

 雨の中、車で迎えに来ていたなのはがおんぶで帰ってくる二人を見つけて、楽しそうな様子に声を掛けるタイミングを考えさせられる事になったのはそれから数分のちだったという。




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